NEDの現場から
考えるノート
掲載日: 2025年12月1日
著者:時田 隆佑(株式会社トキタ企画 代表取締役社長)
先日、とある小さなトークイベントに顔を出した時のことだ。
パイプ椅子が並べられた会場を見渡すと、客層が見事にバラバラだった。
白髪の混じる初老の男性、仕事帰りとおぼしきスーツ姿の女性、ラフな格好の大学生。
普段の生活圏では決して交わらないであろう彼らが、この狭い空間では一様に同じ方向を見つめ、熱っぽい視線をステージに注いでいる。
もし私が企業のマーケティング担当者としてこの場にいたら、報告書にどう記すだろう。
「30代から60代の男女、職業不詳」と書いたところで、この熱気の本質は何も伝わらない。
彼らをここに繋ぎ止めているのは、年齢や性別といった「属性」ではなく、ステージ上の演者に対する純粋な「共鳴」だけだ。
性別や年代というスペックで人を輪切りにする手法が、いかに現場の解像度を下げてしまうか。
その雑多で熱い光景が、無言のうちにそれを物語っていた。
人を理解しようとする時、私たちはつい目に見える「行動」だけで判断してしまいがちだ。
店によく来るから、商品を買っているから、あの人は「良いお客さん」だ、と。
しかし、現場の肌感覚で言えば、それは半分正解で半分間違いだ。
毎日店に来るけれど、実は「近いから」「他にないから」という消極的な理由で選んでいる人がいる。
これは習慣ではあっても、熱狂ではない。
逆に、遠方に住んでいて一度も来店したことはないけれど、SNSの発信を全て追いかけ、いつか必ず行きたいと焦がれている人もいる。
行動データ上は「ゼロ」でも、心理的な熱量は計り知れない。
今の時代の「推し活」を理解する鍵は、この「行動(頻度)」と「心理(熱量)」を分けて考えることにある。
数字上の来場者数や売上だけを見ていては、その裏にある本当の温度感は見えてこない。
大切なのは、その人が「次もまた会いたい」「この物語を一緒に紡ぎたい」という強い意志を持っているかどうかだ。
「推し」がいる生活というのは、行動の有無に関わらず、この心理の針がポジティブに振り切れている状態を指すのだろう。
この心理的な熱量が高まると、人は頼まれてもいないのに動き出す。
これを俗に「推しごと(推し事)」と呼ぶそうだ。
推しの魅力をまとめたブログを書いたり、自主的にイベントを企画したり、ファンの交流会を開いたり。
そこには「消費」という受動的な態度はなく、自らが何かを生み出す「生産」のエネルギーがある。
さらに興味深いのは、この「推しごと」が、いつしか本当の「お仕事」になってしまうケースだ。
好きが高じてその業界に転職したり、ファンコミュニティの運営が本業になったりする。
これは、個人の物語(ナラティブ)が、社会的な価値と接続した瞬間と言える。
私が仕事の軸としている「NED(Narrative・Edit・Design)」という手法も、実はこの順番を何よりも大切にしている。
いきなり形(Design)を作るのではなく、情報を整理(Edit)するだけでもない。
まず最初に、そこにある切実な「物語(Narrative)」を起点にすること。
なぜなら、人はスペックや機能ではなく、その奥にある物語に共鳴して動くからだ。
「推しごと」が仕事になる現象は、まさに強烈なナラティブが起点となり、それが編集され、新たな形として社会にデザインされていくプロセスそのものだと感じる。
熱量のある物語さえあれば、あとは適切な編集とデザインを加えることで、それは誰かを巻き込む大きな渦になるのだ。
とはいえ、誰もがそんな風に「推しごと」を仕事にできるわけではないし、そこまでの熱量を持てる対象に出会えるとも限らない。
けれど、面白い関わり方はまだある。
それは「推しごとをしている人を、推す」という視点だ。
何かに熱狂し、目を輝かせて活動している人は魅力的だ。
その人が何を実現しようとしているのか、その物語を横で眺め、時には少し手伝ってみる。
「あの人が頑張っているイベントだから、行ってみよう」
「彼が作ろうとしている場所なら、クラウドファンディングで支援しよう」
自分がプレイヤーにならなくても、プレイヤーを支えるサポーターになること。
それは、推し活の「メタ構造」のようなものかもしれない。
地域や組織において、この「推す人を推す」という連鎖が生まれると、物事は驚くほどスムーズに回り出す。
無機質な記号ではなく、目の前の人が持つ「温度」に触れてみる。
そして、その熱が伝播していく様子を観察する。
そこにはきっと、数字だけでは測れない豊かな物語が流れているはずだ。
あなたが今、誰かの熱量に少しでも心を動かされたのなら、それはもう新しい「推し活」の始まりなのかもしれない。
記事に共感いただけたら、「スキ」や「コメント」をいただけると励みになります。あなたの周りにある「推し」の話も、ぜひ聞かせてください。
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