NEDの現場から
考えるノート
掲載日: 2025年12月14日
著者:時田 隆佑(株式会社トキタ企画 代表取締役社長)
先日、コーヒーを飲みながらスマートフォンの画面をスクロールしていた。
目に入ってきたのは、日経BP「トレンドマップ2025下半期」の記事。
「マーケティング分野の注目ワード3位に『デザイン思考』がランクイン」という見出しだ。
それに対するSNSの反応は、お世辞にも温かいとは言えなかった。
「今さら?」
「デザイン思考をどう乗り越えるのかって段階になって久しいような…」
画面越しに伝わってくるのは、乾いた冷笑のようなものだ。

「イノベーション・シアター(劇場)」という言葉がある。
ワークショップやアイデアソンを開催し、カラフルな付箋で壁を埋め尽くし、なんとなく「新しいことをやった気」になって満足する。
しかし、そこから実際の事業や変革は何も生まれない。
そんな状況を揶揄した言葉だ。
現場で汗をかく人たちが、流行りのメソッドに対して抱く「疲れ」のような感情は、痛いほどよくわかる。
だが、その冷笑に同調して「デザイン思考はもう古い」と切り捨てるのも、何か違う気がしている。
問題は、思考法そのものではなく、それを扱う私たちの「準備不足」にあるのではないか。
デザイン思考が「ユーザーの課題解決(他人軸)」であり、アート思考が「内発的な問い(自分軸)」である、という比較論をよく耳にする。
どちらが優れているかという議論はナンセンスだ。
現場で起きている問題の本質は、それらが「万能な解決策」として無批判に持ち込まれていることにある。
どんなに優れたメソッドも、それを適用する組織や地域の現状(前提条件)を無視しては機能しない。
関係者の利害が対立したままだったり、過去の経緯が共有されていなかったりする状態で、いきなり「アイデア出し」を始めても意味がない。
それでは、表面的な意見交換だけで終わり、実行フェーズで必ず頓挫する。
組織や地域には、それぞれの歴史があり、人間関係という見えない力学が働いている。
それらを整理せず、いきなり「さあ、デザイン思考でイノベーションを」と号令をかける。
これは、基礎工事をせずに建物を建てようとする行為に他ならない。
形だけ真似ても、現場は「やらされ仕事」になり、劇場化する。
必要なのは、きれいな成果物を作るための技術ではなく、複雑な現状を解きほぐす地味な作業だ。
メソッド(Design)の手前には、必ず読み解くべき物語(Narrative)と、整理すべき文脈(Edit)がある。
私は、仕事のプロセスを「NED」という言葉で整理している。
Narrative(物語)、Edit(編集)、Design(設計)の頭文字だ。
これは、建築やまちづくりの現場で、無意識に行っていた実務の手順を言語化したものでもある。
まず「Narrative」。
目の前で起きている事象だけでなく、その背後にある歴史や、関わる人々の想い、土地の文脈を観察・収集する。
なぜその課題が起きているのか。誰がどんな不満や期待を抱えているのか。
「デザイン思考」でいう「共感」に近いが、もっと深く、事実関係やステークホルダーの感情を含めた「見えない情報」を言語化する段階だ。
次に「Edit」。
バラバラに見える事実や、異なる立場の意見を繋ぎ合わせ、一つの方向性を作る。
「アート思考」的な個人の強い想いも、ここで組織や社会の文脈と接続されなければ、ただの独りよがりで終わる。
対立する意見の中に、全員が納得できる「合意点」や「筋道」を見つけ出し、プロジェクトの骨子を固めていく作業だ。
そして最後に「Design」。
ここまで前提条件が整理されて初めて、具体的な形(解決策・プロダクト・事業)に落とし込むことができる。
逆に言えば、NarrativeとEditが確かならば、Designにおける「やるべきこと」は自然と決まってくる。
「イノベーション・シアター」に陥るプロジェクトは、往々にしてこの「N」と「E」を飛ばし、いきなり「D」から始めてしまっている。
前提が共有されていないまま走り出し、「なぜ結果が出ないんだ」と嘆いているようなものだ。
「今さらデザイン思考?」と笑う前に、自分の足元を見てみたい。
私たちは、目の前の課題背景(Narrative)を十分に調査できているだろうか。
異なる文脈を持つ人々の間に入り、利害を調整し、意味を接続する編集(Edit)をサボってはいないだろうか。
流行りのワードは、あくまで道具に過ぎない。
その道具を使って、どんな現状を整理し、何を組み立てようとしているのか。
その意志と文脈さえあれば、デザイン思考もアート思考も、強力な武器になるはずだ。
大切なのは、付箋の数でも、メソッドの新しさでもない。
そのプロジェクトが、誰のどんな「物語」の上に立っているか、という一点に尽きる。
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