NEDの現場から
考えるノート
掲載日: 2026年1月9日
著者:時田 隆佑(株式会社トキタ企画 代表取締役社長)
「地元の小麦を50%以上使わないと、本物とは認めない」
「伝統的な製法を守らない店は、認定から外すべきだ」
会議室のホワイトボードに、勇ましい文字が並ぶ。
地域の食を盛り上げようという熱意は感じる。
けれど、なぜだろう。
条件が厳しくなればなるほど、そこに並ぶ料理がどこか窮屈そうで、美味しそうに見えなくなっていくのは。
前回、抽象的な言葉で煙に巻く「言語化オジサン」について書いたが、実行フェーズにはまた別の落とし穴がある。
それが、「定義オジサン」だ。
彼は真面目だ。
独自性を出そうと必死になり、成分や製法という「壁」を高く積み上げる。
だが、私たちは「成分表」を食べているわけではない。
私たちが求めているのは、その土地の風土を感じる「美味しい」という体験だけだ。
今回は、この「定義の壁」をどう乗り越え、愛されるご当地グルメを作るかについて、私が関わった2つの事例から考えたい。
ご当地グルメにおいて、「定義」は避けて通れない。
他の街との違いを出すには、ルールが必要だからだ。
しかし、独自性を求めてストライクゾーンを狭めすぎると、誰も投げられないボールになる。
「あの店は条件を満たしていない」「この材料が足りない」と排除していけば、作り手は減り、多様性は失われる。
結果として生まれるのは、「定義は完璧だが、誰も食べていない」という悲劇的な商品だ。
大切なのは、定義を守ることではない。
定義を使いこなし、その先にある「笑顔」を作ることだ。
私が関わった「北本トマトカレー」にも、厳格な定義がある。
「カレーのルー、ライス、トッピングのすべてにトマトを使用すること」。
トマトが名産の北本市らしい、分かりやすいルールだ。
しかし、運用していく中で気づくことがある。
この定義文を読んでも、口の中に唾液は湧いてこないのだ。
「トマトがたくさん入っている」という事実は伝わっても、「それがどう美味しいのか」という体験までは伝わらない。
そこで私たちは、物理的な定義(成分)とは別の視点で、このカレーを語ることにした。
それが、「酸味と旨みのハーモニー」というコピーだ。
実際、カレーという料理は、酸味と旨みのかけ合わせで劇的に味が進化する。
家庭のカレーでも、隠し味にハチミツやリンゴ、ヨーグルトを入れることがあるが、あれもまさに酸味と旨みの相乗効果を狙ったものだ。
さらに言えば、トマトは食材単体でこの酸味と旨みを併せもつ、稀有なスーパー食材でもある。
これは新しいルールではない。
「トマトを3度使う」というスペックだけでは語りきれない、しかし料理としての核心をついた魅力(味の体験)を、食べる人に届けるための補完だ。
定義が、作り手を縛る「骨格」だとしたら、コピーはそこに彩りを与える「血肉」のようなものだ。
定義を変える必要はない。
ただ、その上に「美味しさ」を翻訳した言葉をひとつ置くだけで、無機質なルールは、途端に魅力的な「招待状」に変わるのだ。
一方で、定義そのものを緩めることで突破口を開いたのが、うどん激戦区・熊谷市の事例だ。
かつては「熊谷産小麦を50%以上使用」というスペックを定義にし、ブランド化を試みていた。
しかし、これは苦戦しているように感じた。
店にとって原料である小麦粉を変えるリスクは大きく、なにより食べる人にとって「50%」という数値は、お店を選ぶ決定打にはなりにくい。
そこで戦略を変えた。
厳しい条件で囲い込むのをやめ、「肉汁うどん」という、元々地域で親しまれている「王道メニュー(食べ方)」そのものを旗印として打ち出したのだ。
その代わり、地元産小麦を使用している店舗には「ラベリング(タグ付け)」を行うことにした。
「必須条件」ではなく「推奨・加点要素」に変えたのである。
結果として、多くの店が「肉汁うどん」の旗印のもとに集まり、熊谷だけでなく「埼玉県全域(うどん県)」という大きな文脈に乗っかることに成功した。
定義を緩め、タグ付けで価値を足す。
これは、仲間を増やし、市場を広げるためのアプローチだ。
この構図は、グルメに限った話ではない。
観光協会のパンフレット作りでも、「会員企業を公平に載せなければならない」というルール(定義)に縛られ、電話帳のような冊子が出来上がることがある。
しかし、旅人が求めているのは、網羅的な「辞書」ではない。
心が動くような「物語」だ。
そこには文脈があり、店主の歴史があり、その街の匂いがある。
北本トマトカレーが愛されたのは、トマトの量ではなく「ハーモニー」への執着があったからだ。
熊谷のうどんが広まったのは、小麦の配合率ではなく「肉汁うどんをすする」という食文化を売ったからだ。
北本と熊谷。
二つの事例を並べてみると、ある一つの法則が見えてくる。
それは、「フェーズによって、戦い方を変えろ」ということだ。
まだ世の中にない文化を生み出す「0から1」のフェーズでは、北本のように「定義」が必要になる。
何者でもない状態だからこそ、強いルール(憲法)で芯を通し、クオリティを担保する。
ここでは「定義オジサン」の厳格さが、ブランドの求心力になるのだ。
しかし、ある程度認知され、市場を広げていく「拡散」のフェーズに入ると、今度はその定義が邪魔になる。
そこで必要になるのが、熊谷のような「ハック(編集)」の視点だ。
ルールをハッキングし、解釈を広げ、タグ付けに変えることで、参入障壁を下げる。
ここでは、定義を崩す勇気が、遠心力を生む。
多くのプロジェクトが失敗するのは、このフェーズを見誤るからだ。
まだ何物でもないのに緩めすぎて味がボヤけたり、逆に、広げるべき段階なのにガチガチの定義で自滅したりする。
大切なのは、「定義」か「ハック」か、どちらか一つを選ぶことではない。 今の自分たちの街は、どちらのフェーズにいるのか?
その問いに合わせて、この二つのモードを柔軟に「行き来する」ことだ。
時には「定義オジサン」のように厳格に定義を守り、時には「ハッカー」のように軽やかに定義を書き換える。
その往復運動の中にこそ、長く愛される文化は育つのだと思う。
もし、あなたの街のプロジェクトが停滞しているなら、一度立ち止まって考えてみてほしい。
今必要なのは、壁を作る「定義」だろうか。
それとも、壁を乗り越えるための「ハック」だろうか。
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