NEDの現場から
考えるノート
著者:時田 隆佑(株式会社トキタ企画 代表取締役社長)
部分最適が効きすぎている、と思うことがここ最近多い。
「Notion テンプレート タスク管理 最強」で自分だけの管理画面を作り込む。
「メール 自動振り分け ルール」で受信トレイをゼロにする仕組みを組む。
「ふるさと納税 還元率 最適 ルート」で損しない回路を完成させる。
最近はAIに聞けば、仕組みごと作ってくれる。
自分だって同じだ。
毎日のようにツールをいじっては、小さな仕組みの精度を上げている。
回ると、賢くなった気がする。
でもふと、ただ小さなシステムを回すことに必死になっているだけじゃないかとも思う。
書類を回すとき、自分の欄だけきっちり埋めて次に渡す。
前後の文脈は見ない。自分の持ち場は完璧だから。
会議で発言を求められたら、準備した数字を正確に読み上げる。
全体として何を決めたいのかは、自分の担当じゃないから。
みんな、自分のパートから出ない。
出ないというより、出る必要を感じていない。
調べれば自分の持ち場の正解は分かる。
だから、それをやる。それだけやる。
「これでいいでしょ」が、そこらじゅうにある。
置きにいってる感じ。
攻めてるわけでも怠けてるわけでもなく、ただ、置きにいってる。
誰も踏み込まないから、持ち場と持ち場の間に隙間ができる。
その隙間が、外から見るとトゲの谷間に見える。
丸かったはずの輪郭が、ギザギザになっていく。

丸いというのは、たぶん、遊びがあるということだ。
機械の部品にも遊びがないと噛み合わない。
ぴったりに作ると、かえって動かなくなる。
人も組織も、たぶん同じだ。
隣の人のやり方が自分と違っても、「そういうのもあるか」と放っておける距離感。
効率は悪いけど、なんとなく続いている習慣を、壊さずに眺めている時間。
自分の持ち場の境界が少しぼやけていて、隣と自然に重なっている状態。
そういう遊びが、どんどん手放されている。
最適解が見えるから、それ以外のやり方が無駄に見える。
しかも、部分の成果は数字にしやすい。売上、フォロワー数、完了タスク。
でも全体がうまくいっているかは、数字にならない。
測れるものだけを追いかけていると、測れない部分が自然と痩せていく。
遊びの部分を詰めるたびに、輪郭が縮む。
小さく、きっちり、正確に。でも、小さい。
仕組みは回っている。
でもそれは、賢くなったのとは違う気がする。
自分でも思ってなかったことを思いつく、みたいな瞬間が減った気がする。
問題だと思うと、仕組みで解決しにいく。
最適化して、効率を上げて、また少し小さくなる。
でも、楽しいと思うと、隙間を埋めにいく。
自分の持ち場を気づいたらはみ出している。
隣の人の領域に、なんとなく足を踏み入れている。
そこに理由はない。面白いからだ。
たぶん、トゲトゲを丸くするのは、正しさじゃない。
問題意識でもない。
楽しさとか、熱量とか、そういうものだ。
それは仕組みの外側にある、物語のようなものだと思う。
部分最適で固まったものを動かすのは、正しさではなく、そっちの力だ。
ただ、こう書いていて思う。
仕組みが淡々と回ること自体は、悪いことじゃない。
毎日ちゃんとゴミが収集されて、信号が変わって、メールが届く。
それは誰かの熱量ではなく、仕組みの力だ。
全部に熱量を求めるのも、それはそれで息苦しい。
たぶん問題は、仕組みの「外」が消えかけていることなんだと思う。
仕組みで回る部分と、はみ出す部分が、両方あっていい。
……これも僕の部分最適かもしれないけど。
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